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オーディオと音楽鑑賞とオーディオライフ [雑記]

こんばんは、セラミックです。
前回の記事では、かなり感情的に書き綴ったこともあり、お見苦しい文章となりました。
そのせいで、無意味に人を不快にさせてしまったり
私の考えをくみ取ろうとしてくださった方の理解の妨げとしてしまったりしたこと、と思います。

そうであっても、読んでいただき、ありがとうございます。
私自身、ああ言った文章はもう書くのは止めようと思います。
それを心に刻むため、あえて削除せずに前回の記事は残しておきます。


さて、それでは、前回の記事は何が言いたかったのか、ということを
改めて論点を整理して書いてみたいと思います。
論理的な問題で、前回とズレがあると感じられるかもしれませんが
今回の記事がより私の考えを表しています。




私はオーディオというものには
「広義のオーディオ」と「狭義のオーディオ」があると考えています。

広義のオーディオとは、簡単に言ってしまえば、何でもアリ、のことです。
音楽鑑賞から、機器の選択、音の変化を楽しむこと、などなど。
「趣味:オーディオ」と書くようなイメージでしょうか。

これに対して
狭義のオーディオとは、前回の記事で書いたような、理想の音の追求です。
私の考える理想の音とは、正確でだれしもが良い音と感じることのできる音、です。
そんな音が存在するか否かは、現時点の私には分かりませんが
狭義のオーディオとはそういったものを追い求めることです。


この記事内では以下、「オーディオ」は「狭義のオーディオ」を指します。



また、「音楽鑑賞」というものがあります。
これは難しいことはなく、単に音楽を聞くこと、です。
別に凝ったシステムがなくてもいい、外でiPod片手に聞くこと、テレビの音楽番組で聞くこと
パソコンを使ってyoutubeで聞くことも音楽鑑賞です。
動画が入ってくると若干意味が変わってきそうなところがありますが・・・)



そして最後に、オーディオライフというものがある、と私は思います。
これは、オーディオ機器を楽しむもの、と私は考えています。
例えば、ヘッドホン・アンプの使い分けや改造といったものです。
本ブログのこれまでの記事も大半は私のオーディオライフについて、でした。



ここで、前回の記事において私の言いたかったことを、今回の言葉に改めて書きます。

“なんだか、オーディオライフが膨張しすぎていませんか?”


以下、詳しく書いていきます。


オーディオは理想の音の追求である、とは上にも書いたとおりです。
ならば、機器の選択も理想の追求です。
もちろんすぐに高価で性能の良いものをポンと購入できればいいのですが
そういうわけにもいきません。また、例えそう言うことができたとしても
どの機器がいいのか、ということは悩ましい問題だと思います。
なぜなら、完全な機器が存在しないからです。(私が知らないだけの可能性も否定できませんが)
そのため、あらゆる指標をもとに試行錯誤することが必要になっていると思います。

金・知識・聴感といった要素を最大限まで高めて、最高の音で音楽を楽しもう
とすることがオーディオである、と言い換えることができるかもしれません。

無論、どこまでこれを追求するか・できるか、は人ぞれぞれであるとも思います。
身の丈に合わないことはしない、無理な努力はしない、というのも大切なことと思います。
ある意味では、追求を全くしないのが付属イヤホンなどで音楽を聞くことであると思います。
これはこれでも音楽を楽しんでいるのですし、なんら問題のないことでしょう。



では、私はなぜ、改造を問題としたのか、ということについて書いていきます。
私は改造をオーディオライフの一部としました。
私自身、こういったブログを書いていて言える立場ではないかもしれませんが
オーディオライフに対して疑問を持っています。それはオーディオライフが自由だからです。
もちろん、趣味なので自由だとは思います。
しかし、元々はオーディオの試行錯誤だったはずの機器や部品の選択が
その選択自体を楽しむものになっている気がしてくるのです。
手段だったはずの試行錯誤が目的となっている、ということです。
無論、オーディオに限らず、他の世界でも起こることだとは思いますけれど。

しかし、何でしょう、少なくとも私には気味が悪いです。
それは、行きつく先が何もないからです。
手段が目的となってしまっている状態では、なにも目指すものがありません。
正しさが全く存在しません。個々人の考えがあるのみです。
そういった個々人の考えを、好み、と呼ぶのでしょう。
人それぞれ音の好みがあるのは当然です。
それは生まれ育ちながら聞いてきたものが違うからでしょう。
そうして言い方は悪いですが、それぞれの感性にどこかズレた部分があり
それが原因で好みが生まれているのでしょう。
このように書くと、正しい感性がある、という言い方になっていますが
これもオーディオと同じように幻想なのかもしれません。けれど私はあると信じたいです。


話がずれたので、戻します。
現状、音の好みがあるのは事実です。しかし、自分の好みをどこまで信じていいものでしょうか。
自分の好みを貫くことも自由でしょう。
しかし、その状態で音楽鑑賞すること、このことに対して、どう思いますか。
音楽を恣意的に曲げて聞いていると思いませんか。
確かに、音楽の聴き方も自由と言えるでしょう。
しかし、どうでしょう、音楽を恣意的に曲げて聞くって、どうにも怖いものに私は感じます。
自分が何を聞いてるのか分からなくなるからです。
もしくはその音楽を作った、奏でた、歌った人に申し訳ない気持ちになるからです。

例えば、ニコニコ動画などで音楽をいじって遊んでいる人がいます。
それ自体は遊びなので別に好きにやればいいと思います。
しかし、もし自分の好きな音楽がふざけていじられていたら、私は嫌な気分になります。
ましてや、いじられた音楽でも音楽を聞いていると言われたら
それはおかしいだろ、と言ってしまいたくなります。

事の大小、分かりやすい分かりにくい、はありますが
オーディオライフがひどくなると、音楽を純粋に楽しんでいる気がしません。


つまり
・オーディオライフはオーディオの試行錯誤という手段が目的になっているので気味が悪い。
・オーディオライフが行きつけば音楽を恣意的に曲げて聞くことになるので気持ち悪い。

以上、私が改造を嫌ってる、引いてはオーディオライフに疑問を抱いている理由です。
根は私個人の感情から出ているものであり、正当性のなさは自覚しています。


前回の記事では分かりにくかったのかもしれませんが、こういった理由なので
オーディオの高みに近づこうとする機械いじり、自作は何一つ否定していません。
改造もそういったことを目的でしている人がいると思うので、全否定する気はないです。
しかし、改造ではどうしても限界点が低くなると思うので、その中であくせくするくらいなら
もっと根本から作るか、ハイエンドの市販品にした方がいいのではないかと思うのです。
あくせくするのにも様々な知識や労力、財力、リスクがいるでしょうから。



―まとめ―

オーディオ・音楽鑑賞・オーディオライフ、という分類は私が勝手に作ったものです。
なので、お前の分類なんて知ったことか、とおっしゃる方がいても結構です。

また、自分の好みの音でもiPodで聞くよりはオーディオしてると思うよ
などとおっしゃる方もいると思います。
言いたいことは分かりますし、否定はしません。好きにやって下さい。

さらに、ヘッドホンの使い分けに関しても本来は否定したいです。
しかし、現状はそれぞれに特性的に優れた点そうでない点があり
聞く音楽によって合う合わないがあります。
もちろんハイエンドであっても微妙にそう言ったものが存在すると思います。
なので、しなくて済むのならしたくないのですが、ある程度は仕方ないのかなとも思います。

そして、私自身そうですが、気分によって特定のヘッドホンが使いたくなったりします。
この時は私もオーディオライフを楽しんでいます。



オーディオライフは多様なものです。
しかし、オーディオ・音楽鑑賞、といった軸があるからこそ生じる多様性だと私は思います。
だからと言ってオーディオライフなんてない方がいいとは思いません。
多様性があるからこそ物事が面白いのです。
ただ、あくまで主としてオーディオ・音楽鑑賞があり、従にオーディオライフがあるのだと思います。

そうした認識の上で、私は(広義の)オーディオを楽しみたいものです。
あなたはどうですか?
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スピードの素

今回の記事読みましたけど、書かれてるとおり人それぞれこれまでの環境のちがいもありますし、人それぞれ音楽へのアプローチがちがうからこそ
逆にこれだけの広がりが出てきたのかなと。
確かに広がりすぎて、オーディオ内での多様化からのぶつかりもあります。
そういうダークな部分もあるだけに、音楽を楽しむという原点にもどる時期なのかもしれませんね。

by スピードの素 (2010-04-12 22:39) 

Riever

ああいう記事、案外需要があると思うので私個人的にはアリだと思いますよ。

それはそうと、「オーディオライフ」(Audio機器で音楽を再生すること)が確実に元ソース(生音という意味で)から見ると音が変わるので、極論するとそれ自体が歪む・・・とはなるかなとは思います。
その境が恣意的であるかないか、それが恣意的だからと言って元ソースからかけ離れた音か、近づいている音か(もちろん自分が聞いて、ではありますが)ということもありますから、この辺は如何ともしがたいかなと思います。
もっとも、一部分のエレクトロニカ・ブレイクコアなんかの生音の基準がないものもありますし、そういう意味では元ソースという言い方すら正しくないということはありますが。

・・・と、ここまで言っておいて匙を投げていますが、思想の問題は難しいので私にはどうにもと言うところがありますし、そもそも強要したりされなければ別にいいかなと思っているのであまり気にしていません。
気にしていないなんて言ったら元も子もないですが・・・。
by Riever (2010-04-13 00:09) 

SAKURA

ちょっと失礼な意見になるかもしれませんが、正直な意見を求めていると言うことでしたのでお許しくださいm(_ _)m

この文章を読んだ限りだと、「何か正しい感覚があり、個人間の好みの差こそがズレである。そのズレた感覚のまま(好みを持ったまま)音楽を聴くことは失礼である。なぜなら楽曲を生み出した人の意思を捻じ曲げて受け止めることになるからだ。」と自分には伝わってくるのですが、自分には演奏者の意思を完全に汲み取って聴くことはちょっと無理なんじゃないか?と思います。
というかどのような解釈・聴き方が正しいかなんてわかるのか疑問です。
昔から存在する楽曲に対する世間の解釈すらも絶対にあっていると言えない状況ですから。
逆に自分は「間違った解釈を信じきってしまう。他人に押し付けてしまう。」危険の方がちょっと恐ろしく感じてしまいますね。

また、「音楽とは聴く人の状況・心情によって表情を変化させる」という面も自分は魅力の一つに思っています。
音楽とは演奏者からリスナーへの一方通行ではないと思っているからです。

「理想の音」「正しい感覚」など、正しいものがあるのでは?という主張はわかりますが、文中ではそれらに対する具体的な例がないためか少し現実味?(というかわかりやすさがないというか・・・うまい言葉が思いつきません。)が感じられないので、説得力に欠けるかなと思ってしまいました。
そもそも感覚の言語化ってとても難しいことではあるんでしょうけど・・・
だからこそ、その「正しい感覚」がうまく伝わってこないためかあまり共感できなかったです。

また「本来の目的が蔑ろにされ、手段が目的化されているのが気味が悪い」とのことでしたが、「本来の目的」の内容が「理想の音の追及」であり、その「理想の音」の存在自体がこの文中では曖昧に感じました。
そのためか「本来の目的」自体も自分には曖昧に感じられ、はたして「本来の目的」が本当に目的として存在しているかも疑問に感じられます。
ややこしいですね。

自分の意見としては、誰しも好みがあると思います(もちろん自分もセラミックさんも)。
また、自分の考える「自分の好み」と他人の考える「自分の好み」が一致しないのも考えものだなーと思います。
究極を言ってしまえば、セラミックさんの「狭義でのオーディオ」も他の人から見れば「好み」になりうるということでしょうか。
逆を言ってしまえば自分、SAKURAが「良い音だ」というものも他の人から見れば「所詮SAKURAの好きな音だ」ということですね。
これがあるから自分は他人のオーディオ事情に興味はあっても意見を述べようとは思いません。(面倒なのでw)

流石に眠い・・・
理系ということもあり、あまりこういうのは得意でないのでおかしなところもあるかもしれませんが・・・
長々と面倒なコメント失礼しました。
できれば怒らないでください・・・
by SAKURA (2010-04-13 05:20) 

セラミック

スピードの素さん、Niceとコメントありがとうございます。

多様性があるからこそ進化している、というのも確かにその通りですね。
原点に戻るとまで大げさじゃなくても、自分て何したいんだっけ、自分やってることってこれでいいのかな、という疑問は常に頭の片隅にあった方がいいのかもしれませんね。
オーディオに限ったことではないと思いますが・・・
by セラミック (2010-04-13 19:32) 

セラミック

Rieverさん、Niceとコメントありがとうございます。

恣意的如何は、正直線引きはあいまいですね。
恣意的だからいけないとか、恣意的じゃなきゃ曲げていいのかとか。
すっきりと割り切れるものじゃないと思います。
ただ、好みだからいい、というのが嫌だなぁ、というだけなので。
“音楽への気遣い”ってくらいの表現でもいいかもしれませんね。

>気にしていないなんて言ったら元も子もないですが・・・。
私自身、前回にしろ今回にしろ、書いた理由はそう言うレベルの感情からです。
強制したりされたりしなければ、個人って自由でしょ?というのはあります。
だけどそれじゃなんだか寂しいよぉ・・・という程度の気持ちです(笑
by セラミック (2010-04-13 19:41) 

セラミック

SAKURAさん、コメントありがとうございます。

>「何か正しい感覚があり、個人間の好みの差こそがズレである。そのズレた感覚のまま(好みを持ったまま)音楽を聴くことは失礼である。なぜなら楽曲を生み出した人の意思を捻じ曲げて受け止めることになるからだ。」
私はズレがあること、好みがあること、が悪いとは言っていません。
それを肯定し続けること、貫くことがいけない、と言っています。
幼いころは自己中でも、大人になったら少しは他人を気にかけようね、という話です。
だけど他人の気持ちなんて完璧に分かるわけない。
だからせめて人が言ってることや自分の想定の中で気にかけよう。
というのが、楽曲の解釈にあたると私は思います。
信じきることはいけない、というのは同意です。他人しろ自分にしろですが。

>音楽とは聴く人の状況・心情によって表情を変化させる
まさにその通りだと思います。
気分の高い時に聞きたい音楽、悲しい時に聞くとより深みの増す音楽などなど。
ただ、これって音楽鑑賞だと思うのですよね。
気持ちの方が機器よりも先に立っているので。
気持ちが先にあって機器を選んで音楽を聞く、という状況も考えられますが
音楽より先に機器選んでるんでオーディオライフ?と言えなくもないですが
ここら辺まで来るとカオスですし、明確に線引きがしたいわけじゃないので(汗

>具体的な例がないためか少し現実味?が感じられない
具体例がないからこそ理想という言葉を使っています(汗
「正しい感覚」って言葉は正直、私も使いたくて使ってるわけでなく
理想の機器が存在するのなら、存在しうるもの、ってくらいで使ってます。
あえて例えるなら、オーディオに興味持ち始めるまでは
広告に書いてあるし重低音ってやつがあればきっといい音なんじゃないのか
と考えてイコライザいじって聞いていたけど、今はそういうことしない。
というような事例でしょうか。
聴感上の感覚と同時に経験(知識)から来る感覚が重要になっているのでしょう。

>はたして「本来の目的」が本当に目的として存在しているか
100%の形として存在しているかは分かりません。
ただ、測定できるいくつかの指標によってそれに近づいているのかは分かるかと。
もちろん、現在測定できるものが全てを満たしているわけでもなければ
現在の測定で考えられる最高の音を出せる機器が存在しているのかすら
私には分かりません。無責任な発言で申し訳ないですけれど。

>「狭義でのオーディオ」も他の人から見れば「好み」になりうるということでしょうか
あくまで正確性と誰にとっても良い音の追求です<狭義のオーディオ
なので現時点で私の好みとは大幅に違うものであるとも思います。

>SAKURAが「良い音だ」というものも他の人から見れば「所詮SAKURAの好きな音だ」ということですね。
SAKURAさんの好みの方がより理想に近い音で
他の人の考えが偏り過ぎている可能性もありますよ。
確かに面倒なことでしょうけど、他人の意見を受けて自分が変わっていったり
人を変えていったりするのも、良い経験ではないでしょうか。
無寛容で他人を貶したり、無関心で多様性を認めても
そこには何もないと思いますよ。

長いコメントは大歓迎ですよー、私自身読んでて楽しいですし。
怒ることもありません。あえて言うのなら・・・・・・
理系だからって苦手意識持つのはダメよー、そしてライフサイクル大切に!
ですかね。
by セラミック (2010-04-13 20:22) 

セラミック

とっきぃさん、Niceありがとうございます。
by セラミック (2010-04-13 20:25) 

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